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どのように他の人々のために祈るか
by Kelly Malone
友達同士が集まるとき、自分の抱えている問題について話すことがあります。時には、仕事や家族に関する困難な状況について分かち合うことがあります。また肉体的、あるいは感情的な問題を話すことがあります。さらに、その人の家族のだれかや友人が抱えている問題について話すことがあります。このような問題について聞くとき、どのように応じるべきでしょうか。おそらくあなたは、問題を分かち合ってくれた相手の人に、自分もそのことを心配していることを伝え、できるならその人を助けようとしてみることでしょう。ある状況においては、その人にただ耳を傾けること以外に、他にできることはほとんどないと感じるかもしれません。他の人が痛みや悲しみを分かち合うときにその人に耳を傾けることは、あなたがその人のことを心配していることを示す大切な行いです。しかし、単に耳を傾けるだけで終わらせるべきではありません。その人に対する思いのゆえに、あなたはその人に代わって何らかの行動を起こすように動機づけられることでしょう。他の人に代わってなされる行いのことを、クリスチャンは「奉仕」と呼びます。どのような行いをするかは、相手の必要とあなたのその人を助ける能力によって決まります。しかし、他の人のためにあなたがいつでもできる一つのことがあります。それは、祈りです。 他の人のために祈ることは、あなたのクリスチャン生活の一つの大切な習慣となるべきです。他の人のために祈るとき、あなたはその人に対する自分の心を言い表すことになります。また、神がその人を愛し、神がその人の必要を満たすことがおできになるとあなたが信じていることを言い表すことになります。このような、他の人々のために祈る祈りは、とりなしの祈りと呼ばれます。 とりなしの祈りは、聖書に深く根づいています。聖書全体を通して、他の人の必要のために祈ることの模範が、様々な箇所に記されています。以下にそのいくつかを挙げます。それぞれの箇所において何が起こり、どれほど祈りが大切であったかを十分に理解するために、時間のあるときに、それぞれの箇所全体を読むといいでしょう。 アブラハムはソドムの人々のために祈りました(創世記18:1‐33)。アブラハムは、ソドムの町に住んでいる正しい人たちのために、その町を滅ぼさないでくださいと神に祈り求めました。 モーセはイスラエルの民のために祈りました(民数記14:1‐45)。カナンの地に入るようにとの神の命令に対して反逆したイスラエルの民を赦してください、とモーセは神に祈り求めました。 エリヤはやもめの息子のために祈りました( I 列王記17:7‐24)。エリヤは病気のために突然死んでしまった少年を生き返らせてくださいと神に祈り求めました。神はエリヤの祈りに対して劇的に答えられ、その子を生き返らせてくださいました。 イエス様はラザロのために祈りました(ヨハネ11:1‐44)。その結果、ラザロは生き返りました。 ペテロはタビタのために祈りました(使徒9:36‐43)。この女性も生き返りました。その結果、そのことを聞いた多くの人々がイエス様を自分の主、救い主として信じました。 パウロは他のクリスチャンたちに祈りを要請しました(エペソ6:19‐20)。パウロは、自分が恐れることなく福音を宣べ伝えることができるように、彼らに祈りを要請しました。 聖書に記されているこれらの模範をもとに、あなたは他の人々のために、どのようなことについて祈ることができますか。 これらの模範からも分かるように、あなたは人々の救い、罪の赦し、いやし、また死からの守りを神に祈り求めることができます。神はあなたが祈っている人を愛しておられるので、その人の生活のすべての領域について心に留めておられます。ですから、あなたはその人の霊的な必要だけでなく、精神的、肉体的な必要のためにも祈ることができます。祈るとき、とりなしの祈りの基礎となる以下の6つの原則に留意してください。 1.とりなしの祈りは、あなたの神との個人的な関係に基づく イエス様を信じる信仰を抱いたことによって、あなたは神の子となりました(ヨハネ 1:12)。神の子となったので、あなたのうちには聖霊がおられ、聖霊によってあなたは神を「父」と呼ぶことができます(ローマ8:14‐15)。ですから、あなたがだれかに代わって神に語るとき、あなたは「お父さん、私の友だちが大変なの。彼女を助けてあげて。」と父親に助けを求める娘のようになります。神はあなたを愛し、あなたの友だちのことを心に留めておられ、あらゆる仕方であなたの友だちを助けてくださいます。 しかし、神と人間の父親との間には一つ異なることがあります。あなたの肉親の父親はあなたやあなたの兄弟にとっての父親ですが、あなたの友だちの父親ではありません。それに対して、神はすべての人の父親となり得るお方です。言い換えれば、すべての人が今すでに神の子であるか、あるいはいつか神の子となる可能性があります。神の子となるために必要な唯一のことは、イエス様を信じることです。ですから、あなたの友だちが問題を抱えているのをご覧になるとき、神はその人があなたの友だちであるからというだけでその人のことを心に留められるのではありません。神はその人を神ご自身の子どもの一人として愛しておられるのです。神はその人と親子としての関係を持ちたいと待ち望んでおられます。ですから、神があなたの祈りに答えられるとき、神はご自身の愛と、その人との関係を持ちたいというご自身の心のうちにある願いとを示されるのです。 2.とりなしの祈りは、祈りに答えたいという神の願いと神の力に基づく 神はあなたとあなたがとりなす人を愛しておられるので、あなたの祈りに答えたいと願っておられます。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)。神はひとり子をお与えになるほどの愛を持っておられるので、私たちの祈りにも答えてくださいます。また、神は全宇宙を統べ治める力強いお方であり、私たちの祈りに答える力を持っておられます。イエス様は言われました。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28:18)。あなたが祈りをささげる神は、全宇宙を創造された神(創世記1章)であられます。神はこの地上で人として歩まれたときに、病人、目の不自由な人、耳の不自由な人をいやし、悪霊を追い出し、死人をよみがえらせたお方です。イエス様は十字架で死なれたとき、死んだままではなく、復活することを通して、サタンの力、罪、死に打ち勝たれました。そしてイエス様はこう約束されました。「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます」(マタイ21:22)。イエス様はこの約束を守りたいと願っておられ、また守ることのできるお方です。 3.とりなしの祈りは、私たちの生活のすべての領域に対する神の愛に基づく 神は人々の肉体的な健康と、霊的な健康の両方に心を留めておられます。神は私たちの罪を赦し、私たちに永遠のいのちを与えることだけを願っておられるのではありません。私たちがこの地上において良い人生を送ることも願っておられます。神は真実なお方であり、神に信頼する者たちの必要を確かに満たしてくださるのです。 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。』と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」(哀歌3:22‐24)。 しかし、あなたの知っている人たちの多くは、自分の必要について神に祈ることを望まないか、そうすることができないでいます。あなたの家族や友人の中で、神を知らない人たちのことを考えてみてください。彼らは罪のゆえに神との関係を持つことができずにいます。しばしば彼らは、神が存在していないかのように生きています。彼らは神を認めていませんが、それでもなお、神は彼らを愛し、彼らのすべての必要を心に留めておられます。また、あなたのクリスチャンの友人たちの中に、困難な状況に置かれ、神の助けを必要としている人たちがいるでしょう。彼らはクリスチャンなので神を知っていますが、彼らが抱えている問題はとても大きいため、彼ら自身の祈りだけでなく、あなたの祈りによる励ましを必要としています。神の大いなる恵み、あわれみ、真実のゆえに、あなたはこのような人々に代わって、神に叫び求める機会を得ているのです。ですからあなたは、彼らのすべての必要を満たしてくださるように神に祈り求めるべきなのです。 4.とりなしの祈りは、神のみこころにゆだねるあなたの態度に基づく イエス様は十字架にかかる前夜、十字架で死ぬのではなく、いのちを守ってくださいと神に祈り求められました。イエス様はこう祈られました。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください」。それから次のように祈りを締めくくりました。「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)。あなたも祈るとき、このイエス様の模範に従うべきです。あなたの願いを神に打ち明けた後、その願いを神のみこころにゆだねるべきです。イエス様が模範の祈りの中で教えておられるように祈るべきなのです。「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」(マタイ6:10)。 あなたには、ガンにかかり、死を迎えようとしている友人がいるかもしれません。他のどんなことよりもあなたが願うことは、その人がいやされることです。このような場合、友だちをいやしてくださるように神に願い求めるべきですが、それと共に、「父よ。あなたのみこころがなりますように。」という言葉で祈りを締めくくるべきです。この言葉の奥には、神が最善を知っておられるということへの信仰があります。あなたの友だちが生きるにしても、死ぬにしても、神はこの状況を用いて、ご自身の良いご計画を成し遂げることができるのです。それは、あなたの友人の死が良いものであるという意味ではありません。死そのものは、ひどい病気の結果であり、あなたの友人に大変な苦しみをもたらします。しかしその苦しみの中でさえ、神は良いご計画を成し遂げることができるのです。例えば、あなたの友人がクリスチャンであるなら、彼の死は、彼を天国の神のもとへと導きます。それはすばらしいことです!また、あなたの友人がクリスチャンでないとしても、神は彼の死を用いて、だれにでもいずれ死が訪れることを他の人々が気づかせ、彼らがイエス様を救い主、主として信じるように導かれるかもしれません。 5.とりなしの祈りは、他の人々に対するあなたの心に基づく あなたが祈る人たちのことを神が心に留めておられるだけでなく、あなたもその人たちのことを心に留めています。あなたは神と同じ思いを抱いているのです。そして神が愛しておられる人たちを愛しているのです。ですから、あなたが他の人々のために祈るとき、あなたを通して神ご自身が神の愛を示しておられるのです。「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです」( I ヨハネ4:12)。この心が、あなたを動機づけ、他の人々のために祈るという思いを起こさせるのです。人々のどのような必要も、私たちがその人たちに心を留め、祈るように導いてくれます。ある人の霊的な救い、いやし、旅行の安全、困難な状況からの解放、励まし、幸せなど、あなたはその人のどのような必要のためにも祈ることができます。神はその人の生活のすべてのことに心を留めておられるので、あなたも同じ心を持つべきです。 6.しばしば、としなしの祈りは、さらなる神への奉仕と、人々に対する良い行いへとあなたを導く 他の人々の必要のために祈るとき、神があなたを彼らの問題に対する答えの一部となるように導かれることがあることに心を留めておきましょう。例えば、あなたの家族や友人の救いのために祈るとき、その人たちにイエス様について話すように神があなたを導かれるかもしれません。食べ物のない人たちのために祈るとき、その人たちに食物やお金を渡すように導かれるかもしれません。病気をわずらっている人たちのために祈るとき、その人たちを訪問して励ますように導かれるかもしれません。孤独な人たちのために祈るとき、その人たちの友だちになるようにと神があなたに語られるかもしれません。この世の失われた人たちのために祈るとき、宣教師となるように導かれるかもしれません。 祈りは行動を促します。神は祈りを用いて、神の民がみこころを知り、行うように導かれます。ですから、他の人々の必要のために祈るとき、「父よ、みこころがなりますように」とだけ祈るのではなく、「父よ、私があなたのみこころを行うことができるように助けてください」と祈るようにしましょう。 |
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